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7月24日/宵宮
宵宮祭・鉾流神事・催太鼓・獅子舞氏地巡行
7月25日/本宮
夏大祭・神霊移御・陸渡御・船渡御・奉納花火
天神祭は一千余年の伝統を誇る日本屈指の祭典です。
これからも時代の感性を取り入れながら歴史を刻みます。
川口呉川図「天神祭之図」
(部分・大阪市立博物館所蔵)
天満宮御鎮座の翌々年、天暦5年(951)に社頭の浜から神鉾を流し、流れついた浜に斎場を設け、「みそぎ」を行ないました。その折、神領民や崇敬者が船を仕立てて奉迎したのが天神祭の始まりとされ、一千年の歴史を誇っています。それ以来、船の数も増え、豊臣秀吉が大坂城を築いた頃には船渡御の形が整ってきました。堂島川への土砂流入で船渡御が中止になったこともありますが、天下の台所と呼ばれた元禄時代(17世紀後半)以降、天神祭は浪速の繁栄のシンボルとして隆盛をきわめ、享保年間(18世紀前半)には「講」という祭りを支える組織が誕生し、新たにお迎え人形も登場し、祭りの豪華さは全国に名を馳せます。幕末の政変や二度の世界大戦で中断があったものの、昭和24年に船渡御が復活。また、地盤沈下の影響で大川を遡航するという現在の形になったのは昭和28年からのこと。天神祭には幾多の変遷があり、その存続が危ぶまれた時期もありました。しかしその度に困難を打開し、伝統を守り、盛り上げていったのは浪速っ子の土性骨と心意気です。天神祭は今も、そうした人々の熱いエネルギーに支えられ発展しています。 
天神祭の風景
天神祭は、千年を越える伝統と歴史を誇る祭りだけあって、数多くのエピソードが残っています。元禄時代には、討ち入りを控えた大石内蔵助の妻のお理玖さんと末息子が見物に訪れていた、という逸話が近年の研究で明らかになりました。また、大阪にゆかりの深い西山宗因や井原西鶴、近松門左衛門といった文化人もおしのびで観覧し、祭りを肴に文学論で熱くなっていたそうです。幕末には、14代将軍徳川家茂のために盛大な天神祭を開催して欲しいと新撰組から天満宮へ命令の下ったことがありました。しかし、政情不安の続くこの時期に、神様にお出ましを願うわけにはいかないと断固拒否し祭りを中止したという記録も残っています。その他、時代の流れや新しいイベントを上手に取り込む懐の深さを持ち合わせているのも天神祭の魅力です。
笛の音とともに堂島川に漕ぎ出す斎船
鉾流神事
7:45/宵宮祭 (よいみやさい)
いよいよ天神祭のスタート
天神祭の始まる24日の朝、7時45分より本殿にて宵宮祭を斎行。8時半すぎ、白木の神鉾を手にした神童や供奉人、約2百人の行列が天満宮の表門を出発し、旧若松町浜の斎場へと向かいます。
8:50/鉾流神事 (ほこながししんじ)
祭りの開幕を告げる厳かな神事
8時50分ごろ、夏越祓いの神事の後、斎船で堂島川の中ほどに漕ぎ出し、龍笛の調べの流れる中、船上から神童の手によって神鉾が流され、天神祭の無事と安全が祈願されます。今年、この鉾流神事の大役を務めるのは、西天満小学校の生徒。天神祭の幕を切って落とす厳かな神事の中心的役割を果たします。
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